「熊本28年大災害」 

2016年平成28年)熊本地震が起こった時、私の中では、「熊本28年大災害」。

熊本では、都市伝説とした話題に上がっていると思ったが、全く・・・


2046(令和28)年、何かが起こる。

現時点の情報では、

南海沖地震

2046年バレンタインデー、地球に小惑星が大接近


大きな災害が無ければいいのだが・・・


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令和28年(西暦2046年)干支 丙寅(ひのえ とら) ❓

2016年平成28年)4月14日

    「熊本地震(くまもとじしん)

1953年昭和28年)6月25日から6月29日

 昭和28年西日本水害

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熊本では、『6・26白川大水害』だが、もっと範囲を広げれば、「昭和28年西日本水害」になる。

生前、母(当時:22才)からも話を聞いたし、義理の叔父からも熊本市内でも死体が流れているのを見たと聞いた事がある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


昭和28年西日本水害(しょうわ28ねんにしにほんすいがい)は、1953年昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県佐賀県熊本県大分県)を中心に発生した、梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害である。


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6.26白川大水害の教訓を後世に語り継ぐ 熊本市立小学校で防災授業

71年前、県内で500人以上の死者・行方不明者を出した6.26白川大水害の教訓を後世に伝える取り組みです。 熊本市の小学校で21日、『防災授業』が行われ、当時、小学3年生だった男性が経験を語りました。 【田尻 康博さん(80)】 「当たり前ではあるけども人間は自然の災害には絶対に勝てません。「今まで大丈夫だったから」では、だめなんです」 熊本市立大江小学校で6年生135人を対象に開かれた「防災授業」です。 1953年の6月26日に発生した白川大水害の教訓を後世に伝え続けようと、国土交通省や地元の防災連絡会などが共同で企画しました。 授業では当時、大江小学校の3年生だった田尻 康博さんが経験を語りました。 【当時小学3年生 田尻 康博さん(80)】 「「どうせ白川は氾濫しない」と思って、みんな家にいた。そしたら夜の9時50分に土手が決壊して130軒2百何十人が下流に流されてしまった」 記録的な豪雨によって白川が氾濫し「150年に1度」といわれる大洪水が発生。 大江校区では家屋130戸が流され、200人以上の死者・行方不明者を出しました。 【田尻 康博さん(80)】 「71年前と違うことは『情報』です。71年前は「絶対に水害は起きない」「起きないだろう」「起きないでほしい」とみんな祈っていた。今は違います。テレビ、パソコン、スマホ、事前に情報が手に入る時代。命を守ることができる時代。命は守れるんです」 田尻さんは当時の経験を振り返りながら「早めの避難の大切さ」を訴えました。 また、ハザードマップを基に作成したAR拡張現実を活用した浸水予想が示されると…。 学校の近くの道路や公園などが浸水していく様子に、児童たちは驚きの声を上げていました。 【6年生】 「遊んだことのある公園で身近な公園だったので、びっくりしました。他人ごとだと思わずに常に自分の事だと思って考えていきたい」 【6年生】 「いつ水害が起こるかも分からないし、明日起こるかもしれないので、水害に対する(備蓄)、水や缶詰をストックするなど簡単にできることからやっていきたい」 このARを活用した授業は県内で初めてで、国交省は今後、広く学校教育に取り入れてほしいとしています。


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『6・26白川大水害』から70年 『水害地蔵尊』前で慰霊祭【熊本】





県内で563人の死者・行方不明者を出した1953年、昭和28年の『6・26白川大水害』から26日で70年です。

戦後最悪と言われる大水害を経験した人たちは今、何を語るのでしょうか。 熊本市中央区の子飼橋際に建てられた『水害地蔵尊』の前で営まれた26日の慰霊祭。熊本市の大西一史市長も市長になって初めて参列しました。 1953年、昭和28年6月26日に発生した『白川大水害』。 熊本県内で戦後最悪といわれる死者・行方不明者563人の犠牲者を出しました。 あの日から70年。慰霊祭には地元住民など約70人が参列。 なかには遠く神奈川県から足を運んだ男性もいました。 【神奈川県から参列 奥田 尚さん(85)】 「父と姉と弟がいまだ行方不明。有明海に眠っていると思う。最後のお別れ(参列)だと思って涙が出た」 参列は「今年が最後」と話す人の一方で、ようやく気持ちの整理がつき、初めて参列した、という人も…。 【初めて参列 中西 照貴さん(82)】 「意気地なしだったからここに来られなかった。家が流される、屋根に乗っている人は『助けてくれ』と言って流される。そういうのを思い出すと地獄っていうのはまさしくこのことだと…」 (きょうはなぜ参列しようと?) 「区切りですよ、やっぱり。幼いころの友達とかの声掛けもあった」 【大西一史 熊本市長】 「こういう機会を通してぜひみなさんにそういう水害があったと、若い世代は知らない人が多いと思うので知ってもらう機会にしてもらえたら」 次の世代に伝えたい教訓。みなさんが口をそろえるのはこの一言です。 【初めて参列 中西 照貴さん(82)】 「何を差し置いても『逃げる』。これ以外にないと思います」

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